吉岡幸雄は、日本・京都に江戸時代から続く染色家「染司よしおか」の当主である。
1950年代の日本は環境破壊ということに無知であり、大学生だった吉岡は都会の公害を目の当たりにし唖然としていた。
その後、彼は先代から染司を受け継いだ時、使用する染料を古代の手法のままである天然染料に戻すと決めた。京都の澄んだ湧き水と植物よりつくられる色たちは、化学染料を超える美しさと深さをかもし出し、私たちを魅了する。
吉岡は染職人・福田と共に、21世紀のアジアでも珍しく難しい歴史的手法を伝承する植物染めの工房を営んでいる。
染料の材料を育てる植物農家にとって、地球の気候変化は、現実的に作物つくりに影響を与えている。200年前とは地球の状況が違う。染料の植物が育たなくなり、なくなりつつある。染め屋は、日々地球の変化を感じているのである。
「人間は自然のほんの一部にすぎない。自然に対しもっと謙虚でないとあかん」
21世紀に「植物だけで染めを行う」技法はとうてい無理なのではないか? もう諦めたら、という状況にまできている。しかし、吉岡は諦めない。
吉岡の仕事のひとつに古来の美術装飾品の復元がある。日本の正倉院に保管されている歴史的な宝物や伎楽の衣装の制作手法を探究し復元をする仕事である。科学が発達した現代だからできると思ったら大間違い。昔の人の方がものを作る技術の高さがある、と吉岡は言う。福田は、工房で何食わぬ顔でいつもどおりに「印度更紗」や「きょうけち」という高度な技術を再現し見せてくれる。しかし、そんな彼らでも失敗する。名門染屋ですらまだ再現した事のない古代技術があるという。まだまだ工房では挑戦が続くのである。
東大寺に1260年続く行事「お水取り」がある。五穀豊穣を祈るこの儀式に、吉岡は紅花のみで抽出し染色した紅和紙を奉納する。何度も重ねて重ねて染め上げることで重く深みを持った紅色、吉岡紅ができあがるのである。
この映画は、一切の演出を加えず、職人の普段の環境にカメラを入れ、天然染料のみで浮かび上がる美しい色が染められていく様を体感する。
繰り返し繰り返し、耐えて耐えて耐えた後に、最終的にようやく鮮やかな色の宝物が、物干にぶら下がるのである。
吉岡の夢、天然染めを挑戦し続けることを諦めないことは、本当は今世紀の最先端であり、最も強い精神性をもった姿勢の表れではないだろうか?
吉岡がボロ屋と表する工房では、現在も、のろのろとそして優雅に手作業の素朴な方法で美しい色を作り出している。
映画は、吉岡の言う「ボロ屋工房」を観る人と共用し愛したいと思う。
京都といえば歴史や伝統という印象が強い。 歴史的な建造物や情景、職人技など何百年あるいは何千年も受け継がれているというイメージである。
しかし、そのほとんどは現代の科学や技術そして日々変化する自然環境の上に成り立っているということを再認識すると、先人達がモノづくりした環境とは全く異なるなかで現代の職人たちがモノづくりしていることになる。
ということは、自然環境が年々変化するなかで、京都の色、京都の音、京都の香りなどのイメージを伝承しているという中には、古くからある技を研究した上で更に新しい技を生み加えていかなければならないということであり、そこに、もうひとつの京都が存在するのだということを感じざるを得なかった。
「伝統」と聞くと反射的に「古」という考えが浮かぶ。実際そう思っていた。でも、そうじゃないんだと分かった。視覚的に見ても、触覚的に触ってみても、「古」のほうが断然「美しい」のである。そう、「美しい」という表現が、一番分かりやすいと思う。
「伝統」という言葉には「完成された技」という意味があるんだと思う。昔の人たちが見つけ、経験と研究しつくした結果、こうすれば「良」だけが、ぎっしりと詰まった=未来の人への贈り物なんだと思う。
最後に、僕の仕事は映画編集という作業である。
ここ編集の世界でも、1990年代後半、コンピュータを使って映像を編集することが主流になった。このとき、ベテランの編集者たちが、道具の変化について行けなかったりといった理由から、この仕事から離れていった。その結果、信じられないスピードで世代交代が起こったのだ。ここで先輩から後輩へ伝えられる技術が途切れてしまったような気がする。
「よしおか」を見て、僕らも同じ事をしなければならない、と痛切に思った。
この映画は、京都「染司よしおか」染織史家・吉岡幸雄を撮ったドキュメンタリーです。
植物のみで染める工房を訪ね春夏秋冬が過ぎました。
日本の色をみる時間を得て、近代日本が置き去りにしてきたものに、のろのろと気づくことになりました。
2011年、今は吉岡の言葉を素直に聞き入れることができます。
そして、成熟されたかつての日本文化を誇りに思い、明日への勇気が持てる気がしています。
諦めちゃいけないと思うのです。